黒波(別レイ)が白くなった理由

  シンエヴァの別レイが途中のシーンで白くなった理由の僕なりの意見を紹介します。

 

  まず、前提ですが、第三村パートで別レイはおばちゃんたちに自分の名前を決めるように言われます。

 

  そこで別レイは、シンジのもとへ行き、「名前をつけてもらいたい。碇くんの付けた名前になりたい」と言います。

 

  ここで大事なのは、別レイは、シンジの付けた名前通りの存在へとなる、ということです。

 

  そしてシンジは、最初は「君は綾波ではない」と言いますが、一転、最後には「綾波綾波だ。それしかない」と言い、別レイを「綾波」と名付けました。

 

  その直後、別レイは白くなったわけです。別レイは綾波レイではない、という象徴として綾波レイの特徴である白いプラグスーツではなく、黒いプラグスーツを着ていたわけです。しかし、白くなったことで、別レイは「綾波レイ」へと変化、そして一体化したということです。

 

  その証拠として、最後の補完シーンでは、髪が伸びた「綾波レイ」が、本来知るはずのないツバメの人形を抱えています。

 

なぜ核兵器は絶対になくらならないのか?

こんばんわ

今日は8/6ということで、核兵器について少し意見を書きます。

 

まず、タイトルにもあります通り、

 

核兵器が世界から消えるわけがない

 

ということです。

 

何故断言できるのでしょうか。

 

答えは簡単です。

 

核兵器がないと大国、とりわけアメリカは、

 

脅しがかけられないからです。

 

今までのアメリカは戦争(一方的)をちらつかせて交渉を有利にしてきました。

 

また、世界で核兵器をもっていない経済大国は日本と韓国、ドイツくらいです。(他にもなくはないですがサミットや理事会を考えればこれが妥当でしょう。)

 

その3国ともドイツはフランスの、日韓はアメリカの核の傘に守られています。

 

では、いったいどこの国が核兵器廃絶を訴えているのでしょうか。

 

そう、その他小国です。

 

小国にとって、核は自分たちが持てるものではありません。

つまり、大国からの脅威でしかないのです。

 

これらの国に大国が耳を傾けるはずがありません。

 

核兵器廃絶を訴える、これは必要なことです。

ただ、核兵器がそれだけでなくなるわけはありません。

核兵器がなくなるのと人類が滅びるのは果たしてどちらが先なのでしょうか。

 

 

Komm, süsser Tod(甘き死よ、来たれ)の日本一美しい日本語訳

最近、新劇の方がYouTubeなどにアップロードされたおかげか、またエヴァが熱いですね。

 

というわけで、私もBDは持っていますが、見やすいYouTubeで序破Q全部見ました。

 

その調子で旧劇をまた見返していました。

 

補完シーンがものすごく美しいですよね。

 

その美しいシーンの美しい歌である、「甘き死よ、来たれ」の日本語訳を書いてみることにしました。似たようなものは、いろんなサイトにありますが、間違った和訳が多くて残念です。

 

コンセプトは庵野秀明監督が書いた元の詩です。メンヘラみたいなアレです。

 

普通に訳すだけだとつまらないので、出来る限り本来の意味は残しつつ、メンヘラ感をだしてみました。

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いやー美しい。

 

 

I know, I know I’ve let you down

やっぱりね。やっぱりがっかりさせちゃってたのね。

 

I’ve been a fool to myself

自分のことなんかどうでもよかった。

 

I thought that I could live for no one else

一人で生きれると思ってた。

 

But now through all the hurt and pain it’s

time for me to respect the ones you love mean more than anything

でも辛いことを乗り越えて、愛する人を大切にすることができるようになったのが何よりも一番大事だということがわかったわ。

 

So with sudness in my heart, I feel the best thing I could do is end it all and leave forever

それでも、もうイヤだから、ぜんぶ終わらせてどっかいっちゃおっかな。

 

what’s  done is done ,it feel so bad

2度と元にはもどらない。最悪ね。

 

what once is happy now is sad

最初はよかったのに。

 

I’ll never love again

もういやだ。

 

my world is ending

ああ、おわった。

 

I wish that I could turn back time

時間を戻したりできないかな。

 

Cos now the guilt is all mine

全部私が悪いから。

 

Can’t live without the trust from those you love

好きな人から信じてもらえなくては、生きていけないわ。

 

I know we can’t forget the past

でも、昔のことは忘れられない。

 

you can’t forget love and prind

愛も、誇りも、あなたは忘れられないわ。


because of that is killing me inside

だって私をダメにしてるんだもん。

 


It all returns to nothing

なんもなくなった。

 

It all comes tumbling down ,tumbling down ,tumbling down

ぜーんぶ崩れていく。

 

It all returns to nothing

ぜんぶ無くなったわ。

 

I just keep let me down, let me down, let me down

もうだめだ。立ち直れない。

 

In my heart of heart, I know that I could never love again

心の底からもうだめなことはわかっているわ。

 

I lost everything, everything, everything that matters to me matters in this world

大事なものが全部なくなったんだもん。

 

                    (以下繰り返し)


I wish that I could turn back time


cos  now the guilt is all mine


Can't live without 
the trust from those you love
I know we can't forget the past


you can't forget love and pride


Because of that, its killing me inside

 

It all returns to nothing

 

it all comes tumbling down, tumbling down, tumbling down


It all returns to nothing

 

I just keep letting me down, letting me down
letting me down

 

It all returns to nothing

 

it all comes tumbling down, tumbling down, tumbling down


It all returns to nothing

 

I just keep letting me down, letting me down
letting me down

ヱヴァQ「桜流し」の本当の意味は

エヴァ延期が正式に発表され、YouTubeには新劇場版が全て無料公開された。

 

私は以前から何度も見ていたのだが、改めて見返してみるとED歌詞もなかやか意味深だということに気づいた。

 

そのため、新たな切り口として、歌詞からシンエヴァの展開を予想してみたいと思う次第である。

 

まず、歌が誰からの視点なのかを考える。

 

序と破のEDの"beautiful world"の一人称は僕であり、二人称は君である。

 

対して、「桜流し」は、一人称は私で、二人称はあなただ。

 

つまり、この二つはそれぞれ別視点で描かれいると考えられる。おそらく前者はシンジ、後者はアスカである。

 

レイやミサトなども候補にはあがったが、アスカだと仮定すると都合が良く解釈できる。

 

次に、歌詞を順に追っていく。

 

開いたばかりの花が散るのを「今年も早いね」と残念そうに見ていたあなたはとてもきれいだった

開いたばかりの花とは心を開いたレイのことだ。

「破」のレイがせっかく心を開いたのに、「今年(ループ上の今回世界)」に於いてもまた居なくなってしまった。

「あなた」はそれを残念に思っているシンジのことだろう。

 

もし今の私を見れたならどう思うでしょうあなた無しで生きてる私を

「あなた無しめ生きてる今の私」はQでのシンジを奪還するまでの、シンジ無しのアスカということだろう。

Everybody finds love. In the end.

直訳で、「結局、みんな愛を見つける」という意味だ。

ここは歌の中でも特に重要であって、ここの考察は後述する。

 

あなたが守った街のどこかで今日も響く健やかな産声をかけたならきっと喜ぶでしょう

私たちの続きの足音

「あなたが守った街よ」というミサトのセリフがある様に、シンジを讃える言葉だろう。

「続きの足音」とはQの最後の予告での、「たどり着いた場所が彼に希望を教える」と言った通り、アスカとシンジが共に歩む未来ということだ。

Everybody finds love. In the end.

前述の通り

 

もう二度と会えないなんて信じられない

まだ何も伝えてない

まだ何も伝えてない

「何も伝えてない」とはシンジに対して何も伝えてないということだろう。

「破」で、ミサトには「誰かと話すのもいいものね」と言っていたが、シンジには伝えていない。

 

開いたばかりの花が散るのを

見ていた木立の遺る瀬無きかな

そもそも、木立とは群がっている木のことだ。

では、「花が散るのを」見ていた人たちとは誰だろうか。

前述の通りここの「散る花」がレイだと仮定しても、レイを失ってやるせなくなっているのはシンジだけである。

ここでの「散る花」をシンジだとすると、木立とは、シンジを見てやるせなくなっている人たち、

つまり、ヴィレである。

そして下に続く

 

どんなに怖くたって目を逸らさないよ

すべての終わりに愛があるから

「全ての終わりに愛があるから」は"Everybody finds love. In the end."と同じことを言っているように見えるが、微妙にニュアンスが違う。

後者の方は主語はEverybody、つまり万人ということ。

 それに対して、前者の本当は「私」である。

なぜなら、ここは理由の副詞節であり、主節は「どんなに怖くなって目を逸らさないよ」であるから、そこに「私」という主語が省略されているためである。

 つまり、歌の最後では、「全ての終わりに愛がある」という不変の心理を前提としていて、「私」は目を逸らさない、要するに、アスカの未来への強い意志を表している。

 

あと、ここの「怖い」ものとはなにか。

アスカ目線で一番怖いのは過去の彼女から考えるに、認められないことだ。

あの状況でヴィレに対し、シンジを助けてくれ、などと言ったら非難されるのは必至だろう。

つまり、シンジを助ける=ヴィレを裏切る=信用ゼロ

ということでシンジを助けようとするとアスカの最も恐れる状況になるのではないか。

 

 

また、話は変わるが、シンエヴァの冒頭シーンや、特報を見る限り、アスカとシンジはどうやら、ヴィレの面々と同じところに居る描写がない。

 

 

 

つまり、私の予想するシン・エヴァは、

 

ヴィレの人たちはシンジに対して呆れ、攻撃的になっているが、アスカは目を逸らさずに、シンジを守る。そのため、ヴァレとは手を切る。

 

というシナリオだ。

 

 

 

ここからは、なんの根拠もない私の妄想だがQの予告では先にも述べたが、「たどり着い場所が彼に希望を教える」と言っていたように、カヲルが復活する。

 

カヲルはシンジに元の世界に戻す方法を教える。(Qでは槍のミスにより失敗した)

その方法とはシンジが自らトリガーとなり、旧劇のように補完を遂行すること。

 

 

シンジとしてはQ同様、元の世界、すなわち新劇場版の世界に戻ることを願っているため、補完計画を発動させようとする。

 

そこにアスカ、レイ、カヲルも同調。四人は補完計画を進めるゲンドウ、冬月と合流し、それを防ごうとするヴィレと対立し、再びネルフvsヴィレの構図になる。

 

サブタイトルの「さらば、全てのエヴァンゲリオン」とある通りに、全て終わらせる形で、ハッピーエンド的な補完が遂行される。

 

どうだろうか。

当たる確信は全くないが、ありうる展開だと思う。

 

以上